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モンゴル国 視察旅行
2011年
モンゴル視察の旅。 ブログ『chico』より抜粋


2011年8月22日 (月)
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一日だけのモンゴルの旅。朝青龍と同じ飛行機の偶然も。


昨日は横浜関内でファミリーでコンサートでした。
本当に「大丈夫ですか?明日はモンゴルじゃ無いですか?」と言う声を尻目に強行スケジュールでした。
大使館へのプレゼンもまだコンプリートしてないと言うのに.......でしたが、ま、約束は約束です。
全ては、コンサートを終えてからにと思っていました。
しかし、朝になって整えていたプレゼン用の書類の不足を発見し、出発前3時間の9:40に中目黒の事務所に着いた私は仕事をし始めました。
レナが出社して来て、「Boss!今日ですけど大丈夫です?」

私も時間を気にしつつ、準備を終えて大きなトランクとハンディのキャスター付きバッグを持って10:40に事務所を出ました。

渋谷はエスカレーターもエレベーターも無いと言う事を嫌と言う程味わっていたので、兎に角 東京駅を目指しました。錦糸町からだったら、あっという間だったのに、ここ中目黒から成田とても遠い遠い地でした。
京橋からタクシーで東京駅に行く事にして、日比谷線に乗りました。

しかし、京橋について愕然。
そうです。京橋にもエレベーターはありませんでした。
火事場の力で25キロのトランクと15キロのバッグを両手にした私は、ヒールのある赤いローファーサンダルで、裾野広いパンツを気にしつつ、三階分の階段を駆け上がりました。

しかし、所詮私は女性。しかも、55歳です。
傍目にはそう見えなくとも確実です。
そんなよろける私に手を貸してくれる男性はここに一人もいませんでした。悲しい.....


しかし悲劇はそれだけでなく、東京駅に必死でたどり着いた私に成田迄行く電車は12時45分迄ありませんでした。顔面蒼白。
急ぎ、電話して長女に成田迄車で送ってもらう事にしました!
助かったと長女を神様の様に思ったのも束の間で、車からモンゴル航空に電話すると12時45分迄にチェックインしないと発券が出来ないと言われました。
「あなたね、飛行機はバスで派ありませんよ。時間を守って下さい、。何が何でも駄目です」
既に時計は12時49分でした。
高速道路の渋滞とのんびりし過ぎがたたりました。

すぐにメルゲン君に電話
「失敗しました、チェックイン迄間にあいませんでした。どうしてもモンゴルに行きたい!何とかなりませんか?メルゲン君」
「大丈夫ですよ。矢作さん、出来るだけ急ぎでカウンターに行って下さいね。だめだったら僕が何とかします。」
「感謝するよ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」

なんとか成田の搭乗口に12:55着きました。
着くや否や、私と次女は転げる様にトランクを転がし、カウンターに辿り着くと、パスポートをカウンターに乗せ、間に合いますか?!?!
間に合いました!!!全く何事もなかったように、発券をしてくれました。
その上に、搭乗口迄急いだ私は「モンゴル行き1時間遅れ」を目にしました。
私はラッキーでした。ビジネスクラスと言う事で、ラウンジに行く事ができました。

ラウンジでコーヒーを入れていると私の目の前に朝青龍が飛び込んできました。
思い切って「Can I talk with you just a little bit?」と尋ねました。
すると「Yes, just little bit.」
よく考えてみると私も彼も日本語で大丈夫でした。
私は名刺を彼に渡し、今回の経緯とモンゴルでのイベントの件を話しました。
「良い考えだね、もしもそんな話を実現出来る様に手伝えるなら連絡して」
「有り難うございました」
よく考えると私の名刺を渡しただけでどうやって連絡するか分からないのでした。
しかし、びっくり。
機内にいた私は、出発直前に乗って来た朝青龍と再会するのでした。
朝青龍の方から「やあ」。 メルゲン君の父親が朝青龍の知り合いだった事で、私はその事を彼に伝えました。
機内のビジネスの座席は12席。そのうち、私の他中年の女性と朝青龍と後一人男優さんでした。

食事を終えた私はこの男優さんと話をしました。

池内博之さんでした。
とても紳士で素敵な方でした。
「私と何か将来に繋がる事もあると思いますので、その時はよろしくお願い致します」
「そうですね」と私の名刺だけの交換でしたが素敵なひと時でした。
J-FMの収録だそうでした。






色々とあった一日。
私の頭はグルグルでした。
モンゴルに到着した時、私はようやく日本大使館に行く事ができる嬉しさに包まれました。
出口でメルゲン君のおばさんと、いとこさんがCHIZUKO YAHAGIと言うカードを持って待っていて下さいました。
本当に嬉しかったです。
その後、私はサファリラリーの様な道をおばさんの運転する車でお家迄行く事になりました。
ホテルも予約していなかったので、選んで電話してくれました。幸い、ホテルは日本大使館の隣でした!

ホテル迄行きました。
今日は兎に角疲れきってしまい何も食べずに、キューバタンでした。



2011年8月23日 (火)
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モンゴルの日本大使館で感じた 私の決意。得たもの多し。


宿泊したホテルです。
日本大使館を出た所から撮った写真です。

昨夜はバタンキューを、意識が無くなる様にベッドに沈んだ私でしたが、朝は6時には起きました。
筋肉痛は、両腕に25キロのトランク駆け上がりの後遺症です。
8時には下の階にあるレストランで食事をしました。
お客様にアジア人は私だけでした。
兎に角、コーヒー!
とカウンターに行くとコーヒーはインスタントでした。
そして、お砂糖にはハングル文字。




さて、今日は日本大使館。
私は外務省の会う山大介氏に会う為に来ました。

ホテルの電話にメルゲン君のおばさまの長女さんからの電話。
「何処か今日、行きたい所はありますか?私と主人で迎えに行きます」
「有り難うございます。15時に大使館なのですこし準備が必要です。12時に来て頂いて少し買い物がしたいのですが、どこかショッッピング出来る所にお願いします」
モンゴルは日本から僅か、4時間半で到着するとても近い国。

なのに、あまり日本では知られていない国かもしれません。
朝青龍や、白鵬と相撲では沢山の名力士が誕生して、文化の交流も強いのでは.....と思いきや、あまりよく知られていません。
私は今年から、大学院生活で知り合った友人にメルゲン君がいてくれ、モンゴルと関わりを持てましたが、そうでなかったら、一生あまり関わりを持って無かったと思います。
大学院の授業でモンゴル自治区の問題の新聞記事を得ることがありました。
メルゲン君は外モンゴルの人なので、モンゴル人と言うのでしょうが、内モンゴル自治区の人は中国人ということになります。同じモンゴルだったのに、国が違います。最近、外モンゴルに多くの金や銅や銀が取れ、俄かに注目されてきました。

部屋に戻ると、今回は一人で来たので自分自身で着物を着無くてはならず、少しだけ不安でした。
鏡に向かって「銀座結び」。昨日教えてもらった通り、記憶の紐解いて.....何とか出来ました。
その後すぐに、彼女が旦那様を連れて来ました。
旦那様はモンゴルの財務省の方。
お昼休みに私を見に来てくれました。
『彼女は日本の人の顔でないみたい』と後で言っていたそうです。 結局後でおばさまに迎えにきて頂き、次女の娘さんと3人でランチをする事になりました。

ランチの後、私たちは民族資料館とスタジオが一緒になった様なスタジオに入り、そこで会った館長さんと話をしました。
所属しているモデルの卵をファッションショー等で使う仕事をしている彼女もまた、伝統の服飾デザイナー。
ここで一冊の分厚い衣装の歴史の本を購入しました。
衣装間にもあり、説明もして頂きましたが、南部の民族と西武の民族の衣装の違いは歴然としていて、本当に衣装は歴史や生活様式や意識を知るには良い資料だとつくづく思いました。

私は「アジア地域の研究」のゼミで「イスラム教の服飾研究」をしているけれど、宗教と言うよりも、歴史の中でこの衣装を研究する事への意義を本当に感じるのでした。




いよいよ、日本大使館に行きました。大使館の女性職員の方に「青山は外出中ですが、本日のお約束でしたでしょうか?」
と数回聞かれ私の方も不安になりました。











しかし、大丈夫でした。15:00丁度に青山大介氏は見えました。
初めてお会いする青山氏。
「お若いかただったのですね!」
と、思わず.....言ってしまいました。
プレゼンの資料をお渡ししながら、話を進めました。結論言えば、大丈夫。
「私はモンゴルで日本大使館設立40年の企画を進められます」問題は資金。
この企画に必要ないっさいは日本政府からの資金援助が出来ません。






嘗てソビエトの支配下にあったモンゴル。
ウランバートルの国立歌劇場は、シベリアに抑留された一部の日本の強制労働者がここに連れてこられ、建造された建物だと青山氏にお聴きしました。
−40度の酷寒の中で決して手を抜かない強制労働者。
現在のモンゴルでその建造物は今でも水平な階段と、みじんも変わらないそのりりしさ.....まさに日本人の魂だと鳥肌が立ちました。
日本の国家から援助金は出なくとも、この様な国際関係の中で「日本文化」を表現する事は当時の強制労働者の鎮魂する事にも繋がるのではないかと直感しました。
だから、国立歌劇場で和太鼓を鳴らし、三味線を弾き、大鼓や尺八や琴を奏でる事は、何が何でもやらなくてはならないと、心に誓いました。

部屋に帰ると、本当に疲れました。
そして何故か急に悲しくなりました。
行きている私に出来る事は何だろう。
無力に近い....
日本は一体何処に向かうのだろう.....
モンゴルに未来はどうなるのだろうか.....
今こそやりたい事が見えているのに....
誰が私に協力してくれるのだろうか......
私は暫く「25キロのトランクを持って階段を登る私を横目で通り過ぎる日本男性」を思い出しながら、筋肉痛とむなしさに浸るのでした。

ホテルに戻り、私を18時に迎えにきてくれた次女のNINJINちゃん。
にんじんが名前。私が何かお土産を飼いたいと言うリクエストに応じてくれ、彼女の友人ふたりと一緒にマーケットに行きました。
15歳の高校生達の会話は普段でも英語です。
殆ど、映画で覚えたと言います。
日本語の上手な黒のトレーナーの彼女はアニメで覚えたと言います。

3人とも楽しそうに私に付き合ってくれました。

 

 


2011年8月24日 (水)
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帰国の飛行機内で知り合ったモンゴル男性。

早朝の4時40分に目覚ましをかけ、私はホテルを5時半に出ました。
タクシーの中は真っ暗です。痛んだ道路をゆられながら、私はウランバートル空港を急ぎました。
航空内はスザマしい程の込み具合で、私は一人路頭状態ででした

空港内は本当に混雑きわまりなく、私の行き先も分からない程。
ようやく東京行きのカウンターについて、待っていると、私のカウンターが私の順番直然でClose!
隣に移って並んでいると、私の後ろにいた女性(中国人?)が英語で「この荷物見ていて」と私の後ろを離れました。
前に進むたびにその荷物も動かす私に彼女は日本人のご主人と一緒に戻って来ました。
そろそろ急がないと東京行きのイミグレーションに間に合いません。
カウンターの女性も相当に険しくなって周りに緊張が走っていました。
まだまだ私の順番まで来ません。すると、先ほど締められた隣のカウンターが開きました。
すぐに移動したのは後ろにいた女性。
結局私はいつまでも一番後ろでした。いつも、発券の順番待ちやイミグレーション列を待つ時に嫌な思いをします。平気で割り込みする人。にらみながら割り込んで着る人。

なんとかセキュリティーを抜けて、イミグレーションを待っていると、かかりの女性が『日本人の家族を先に入れてくれ』と、隣の列に割り込みさせました。この家族は随分前から空港内にいましたが、書類の不手際があった様です。いわゆる、割り込みして前に来た感じになってしまったこの家族。
40がらみの父親は、全て終えると我々に向かって一礼をしました。「有り難うございました」って。
『日本人っていいよな〜』
ビジネスクラス席は満杯でした。
しかし、驚いた事に、私に荷物を頼んだ女性夫婦はスタッフに促されて、ビジネスの席に通され、私のすぐ後ろ座っていました。(どこかのお偉いさん?)それにしても、どうして優遇されているのか.....
席の隣にいた男性が成田到着の残り二時間くらいに、私に声を掛けて来ました。
「ウランバートルはご旅行ですか?」
流量な日本語でした。
彼は横浜国立大学を卒業して、新宿のITの会社で働いていると言う事でした。
「モンゴルの道路はどうしてあんなにでこぼこなんですか?」
と言う私の質問を皮切りに、私たちは二時間と言う時間をFullに国際問題としてのモンゴルの話をしました。それは静かな白熱でした。
「日本の大学を卒業してから、どうして母国に帰って母国を良くする事を考え無いのですか?」
彼は首都のウランバートルであっても、モンゴルでは働く所が無いと言いました。
勿論、私が来年にモンゴルに日本大使館が出来て40年のイベントをすると言う話をするととても喜んででくれました。そして、今のモンゴルの実態と現状と問題点を語ってくれました。
北部のモンゴルは沢山の遊牧民が住んでいて、家を持っていない人が、−40度の冬場民族の大移動でウランバートル近くまで南下してくるということです。
ゲルというその家で、遊牧民たちが石炭を燃やして暖を取るそうです。

問題は、大気汚染。 問題は、貧困層。問題は教育。問題は政治汚職。

私は彼から聞く度に、外国で学んだ事を母国で活かそうとしない事に少し腹立たしくもなりました。それは何もモンゴルだけの事でなく、何処の国もが、抱える問題なのかも知れません。彼の友人はNPO法人のモンゴル協会を立ち上げて、母国の事を話し合う機会にしているそうですが、最近は忙しくてなかなか出来ないと言いました。Tradition JAPANの中でぜひとも話をして下さいとお願いしました。
モンゴルの若者たちが母国を良くしたいと言う思いを語る.....想像するだけでワクワクするのでした。

色々な問題を抱える等身大のモンゴルに、世界でも貴重な貴金属資源が出ました。今回、モンゴルの地に訪れた私と同じ日に、アメリカ副大統領と韓国の大統領が訪れました。

朝鮮日報の記事
『中央アジア3カ国歴訪に出発した李明博(イ・ミョンバク)大統領が21日、最初の訪問地となるモンゴルの首都ウランバートルに到着した。
同国には23日まで滞在する。エルベグドルジ大統領と首脳会談を行い、保健・資源分野での協力などを議論し、共同声明を採択する。李大統領が滞在中のウランバートルは、ロシアを訪れている北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が訪問予定のウランウデから約500キロのところにあり、いずれもモンゴル族が築いた都市だ。また、中国を訪問しているバイデン米副大統領も22日にウランバートル入りする予定で、李大統領と会談する可能性もあるという。李大統領は23‐24日にウズベキスタン、24‐25日にカザフスタンを訪れ、それぞれ首脳会談を行った後、26日午前に帰国する。』

メルゲン君の叔母さんに、日本人をモンゴルの人はどう思っているか?と昨日質問しました。
『モンゴルの人たちは日本人に対してとても尊敬をしています。今は沢山、中国や韓国の文化の交流入ってきているけれど、世界で一番、日本の人たちは物を信頼しています』と言われました。
私は光栄に思ったと同時に、日本からのODAの額が一番なのにも関わらず、何故日本の物や文化が表現されていないのかとても悔しくなりました。彼女のお嬢さん高校生ですが、モンゴルでなく、北京の高校に通っています。
昨日の二人の友達との会話は英語でした。「いつも英語?」と聞くと
「そう」
国際的である反面の一抹の不安を抱いてしまう私でした。

国際化と言うのは自国の国家を敬い、より良い国づくりを目指す事ではないか....「文化」伝承の必要性を感じるのでした。
資源があっても、横流しで大国と結ばれながら「利権」を共有する個人と「政府」。
その陰で、なかなか進まない「インフラ」と生活水準。「自立」は自国で物を生産しないと出来ない。消費をドメスティックですれば、経済も潤う。雇用も出来れば企業は税金をおさめる。
税金で自国のインフラを進め、生産でと輸出を強化する。
雇用と同時に外国で学んだ技術を高める研究に投資する。
優秀な自国の人間が自国の為に一生懸命になる。そのために留学する。
資源としてだけの貿易には依然として貧困は無くならない。
国連はそのコントロールをしているのではないか。カカオの生産国にチョコレートやコーヒーの生産向上が出来ない事が問題だと思う。
雇用と技術即ち教育無くして「自立」は無い。一体、世界は何処に進もうとしているのか。私は「日本の伝統文化」にある「日本人のそういた豊かさ」を教育としても世界に伝えたいと考え「養蚕プロジェクトが大切」だと考える。

日本は蚕からの眉と絹だけを作ったのではなく、そこにプロダクツも作った。技術が生まれその先に「自動車工場」が生まれた。
トヨタ自動車は豊田織機が漸進というように。

成田から武蔵小杉迄の間本当に悶々と考える私は、中目黒のオフィスに行き、仕事をして帰宅しました。明日から池袋の東武デパートです。
レナと葛城君はセッティングをしている筈です。
つかれた〜 明日を見よう!



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