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長野県須坂市視察
かつての養蚕業のメッカ、須坂市訪問と出会い。


ここは須坂です。長野県須坂市はかつて養蚕生糸で有名な地域でした。白塗りに黒の梁が鮮やかな蔵がまだ点在する素敵な街です。
蔵そのものが美術館になっているクラシック美術館。
蔵シック美術館とでも言いますか。
そこに保存されている沢山の世界は、確かに「古き良き時代」の時間を刻んでいました。
着物に描く構図、モチーフには脱帽し、先祖を尊敬します。

若い人たちが企業を目指す城(ブティック等)が並ぶ軒先もセンス良し。懐かしい風鈴の音も素敵でした。

田中邸の道もそう近くもなく、歩きはキツく------私も年です。
田中邸はそうそうと並ぶ調度品や着物に圧倒!でした。


須坂副市長さんに「養蚕について」話を伺いました。
誰もが、国に見捨てられたこの事業を、まして若者と一緒に始めると言う私の考えを初めは「甘いな」と思うのでしょうが、「心の時代」「唯物主義から唯心へ」日本に時代を変える人が出なくては!と語る私に関心を示します

 
     
 

須坂市に多くの女工さんが「家計の為に日本の為に」と働き、そのまわりには多くの店が並び女工さんの栄養補給の「味噌蔵」も建ち、「浮き世橋」を渡ると、「チントンシャン」と花街も賑わっていた時代。
養蚕生紙の産業が「国の方針と時代の変化」の直撃で崩れれば、周辺の産業や経営も心中の様相だったその昔。
かつての「チントンシャン」も風前の灯火になる訳です。
二度と戻らないとしても、桑の木を植える事で、この「一生懸命に生きてきた」この記憶を忘れない!と言うポリシーのDNAは繋がると思えました。

 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     



豪商の館  信州須坂 田中本家


江戸中期・享保18年(1733)初代新八は、現在の須坂市穀町で穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を始めました。
代々須坂藩の御用達を勤めるとともに、名字帯刀を許される大地主へと成長、3代と5代は幕末には士分として藩の財政に関わる重責も果たし、その財力は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商となりました。
当時の面影を伝える屋敷構えは、約100m四方を20の土蔵が取り囲む豪壮なもので、内部には天明年間(1780年代)作庭の池泉廻遊式庭園のほか、客殿や主家などの建物が軒をつらねており、四季折々の散策が楽しめます。

田中家の基盤を確立した2代新十朗が定めた家訓家定書全6巻
土蔵には、江戸中期から昭和までの田中家代々の生活に使用された品々「衣裳、漆器、陶磁器、玩具、文書…」が大変よい状態で残されており、その質と量の豊富さから近世の正倉院ともいわれ、土蔵5棟を改装した展示館では常設展のほか、年5回の企画展も行っております。

信州須坂 田中本家博物館 http://www.tanakahonke.org
〒382-0085 長野県須坂市穀町476
TEL.026-248-8008 FAX.026-245-4780

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