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TraditionJAPAN Special Interview - 第19回
徳持耕一郎氏
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矢作:徳持さんといつもお電話ではいろいろ日本の美についてとか、いろいろアイデアをお伺いしたりとかしていますけれども、今の作品は、皆様よくご存じだと思いますけど、鉄骨のアートのほうに力を入れられて、最初のころは版画のほうをなさっていたのですね。

徳持:もう20年以上前ね。版画からスタートしました。

矢作:面白いのは、その前のご経歴が、ちょっとご自身から。

徳持:一番最初というのは、僕はもともと建築家志望だったものですから、大学受験の段階から工学部ばっかりねらっていて、結局、収まったところは機械工学科という、何でこんなところに収まったんだろうという感じはちょっと自分では最後したんですけども、工学系だからいいかっていう感じで、僕、田舎の大学に入っちゃったんですね。
それもそれでいいかと思っていたんですけども、だんだんやっぱり時間がたつとともに、何か違うんじゃないのっていうふうになってきて、だけどそのときに自分に何があるのかっていったときに、周りにいたのが美術を専攻していた友達だったんですよね。田舎の大学なんで、そこには中学校の教員養成科というのがあって、美術の先生になるという。いつもそういう連中とつるんでいたんです。
ところが、いざ彼らが教室に入って話しをしているのが、例えば、ピカソについてとかアート談義するわけです。

矢作:なるほど。

徳持:それがやけにかっこよく見えて、ちょっと僕もそういう話に入っていきたいなと思って、次の日から図書館のアートの本棚のところに行って、ちょっと読んでみようと。端っこから1個1個読んでいくわけです。
そうしているうちに、何かもうキャンパスに行くとその図書館に行くのが日課になって、結局1日そこにしかいなかったりとか(笑)。

矢作:なるほど(笑)。

徳持:かれこれ2年、3年目たったときに、ほぼもうその本箱の美術書も読みあさってしまって、次どうしようかと考えたときに、これは絵をもっと勉強したい。特に版画を勉強したいと。東京脱出をもくろんで、結果的に東京へ出て来たという。

矢作:なるほど。もうじゃあ、鳥取ご出身なので、鳥取を脱出して東京に行かれたのは、じゃあ大学を卒業する前になるんですか。
最初行かれたのは、理数系になりますよね。
ここは違うなと思われたっていうのは何なんでしょうか。内在している何かですか。

徳持:つまり多分僕が建築を志していたのに、機械工学に行ってしまったっていう段階で、もう多分なるようになればいいぐらいにしか思っていなかったかもしれない。

矢作:授業を受けているときに、肌に合わないというか。

徳持:私、そんなに専門を勉強していないです。

矢作:なるほど。じゃあ一般教養のところから入っていって。そこに集まってくる人種というか、学生たちの色というのも、ご自身とはちょっとずれていた感じ。

徳持:いわゆる、ぬるかったですね。

矢作:ぬるい。

徳持:つまり何かこう、みんなまじめなんですよ。
何か面白くないし、そんな感じでしたね。
美術書を見たときにはもう、イメージとしたらヨーロッパとかアメリカとかね。だってアートってみんなそういうものだから、もちろんその中には日本の古いものとかっていう本もあったと思うんですけど、いきなり読んだのを覚えているんです。

矢作:何ですか。

 

 

徳持:ジャコメッティの話だったんですね。
日本の哲学者の矢内原さんという方の書かれたその本が印象に残っていて、だからその第1冊目の本がそういう本であって、今彫刻的なことをやっているというのも、何か縁というか、そういうことも感じなくはないですけどね。

矢作:何かその満ち足りない部分とか、ここに来てしまった的なところが、その本との出会いでまんまとこうグッと。

徳持:結果的にそれからさかのぼっていくとつながっていたんじゃないかと思えるだけで、その段階ではね、そのときはまだ思っていないけどね。
僕は、結果的に版画をとにかく勉強したいと思って東京へ出て来ましたから。

矢作:もともと建築、建築も私はアートだと思っているんですけども、建築とその版画ということの距離感というのはどうなんですか。

徳持:それは、直接はないと思いますね。ただ、僕が版画で良かったと思うことはいろいろあって、何かっていうと、版画っていう定義をしますと、何かの媒介を通して同じものがいくつかできる。複数芸術とも言われます。

矢作:なるほどね。

徳持:今、日本って、これだけ文化が近代的になっても、われわれ実はいまだに毎日に近いぐらい、版画という手段にお世話になっていて、それは何かというと一番身近なのが印鑑を押すということなんですよね。
どんな重要書類でも、やっぱり未だにサインでは日本は成り立たなくて、印鑑を押しますよね。
それは同じ自分の名前がいろんな書類に押されていく、繰り返すということですね。僕らが学んだ江戸の浮世絵というのは、版画芸術なんですけども、今でこそ世界の日本を代表する芸術と言われるけども、僕にとっては芸術でも何でもなくて、メディアであったということなんですよね。
今で言えば情報であった。
それが江戸時代という鎖国をされた時代だったから、日本の独特の本当にものになっていって、しかも江戸時代の技術の粋を集めたものですよね。
分業していったという。だから今現代アートがファクトリーといって、アートを生産していきますよね。同じことなんですよね。
そんなに芸術に大きな価値を考えなくても、もっと生産して、もっとわれわれの生活の末端にまでそれが届いていって、生活を潤わしていく一つのマテリアルであるということでもいいと思うんですよね。

矢作:価値観的に、今私は日々毎日のようにパソコンに向かっているんですけれども、パソコンでつくっているものは、今まで机の上にいっぱいものを置きながらアナログでやっていたことが、本当にこの中で、机の奥の奥からものを引っ張り出して、フォルダーから引っ張り出してきたりとかして、頭にあるものをポンポンと現実化、具現化してできる魔法のようなものになっているんですけども、でも歌麿とか浮世絵ですね。かつて伝達方法だった。
それを見ると、ものがそんなになかった時代に、結局時間がないながらもつくったって、情熱、深さがそこから感じられるわけですよ。
いろんな浮世絵なんか見ていると、春画も含めてなんですけども、見えないものまで見えてくる表現をしていますよね。それを感じるわけですよ。
そういうただ単につくっているというよりも、ものが満ちあふれていないから、見えないものを見せるっていうその熱意をそういうところから感じちゃうんですけど、そういう版画の世界っていうのはすごいなあと、そこも思うんですけど。



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Profile
第19回/対談のお相手は
 徳持耕一郎氏
(とくもち こういちろう)






http://www.hal.ne.jp/saurs/

1957 鳥取県生まれ
1980 遊学(ドイツ,オーストリア,スイスイタリア)
1982 創形美術学校版画科卒業
第50回日本版画協会展
1983 第51回日本版画協会展
1989 ”アーティストの森” Part16(キリンハートランドギャラリー・六本木)
アメリカ東海岸遊学(ボストン,ニューヨーク,フィラデルフィア,ワシントン)
NYグリニッジ・ビレッジ Open HouseGalleryにて個展」)
これを機にジャズアートに目覚める
1990 個展「私の出会った音楽家達 (アートサロン”SOH”鳥取)
1993 鉄筋彫刻に目覚める
1998 個展「私の出会った音楽家達 Vol. 6 (神戸/ギャラリー・イラナグーア)
パナソニック・グリニッジ・ビレッジ・ジャズフェスティバル・
アートコンペティション in NY (ジャズ・ギャラリー)
2000 個展「FIGURES」(鳥取・ギャラリー槐)
個展「FIGURES 2」(倉敷・夢空間はしまや)
作品展「ETENAL」(東京・大崎ゲートシティホール)
2004 個展「FIGURES 4」(東京・銀座「伊東屋」)
「MOCAMBO展」に出品(横浜・赤レンガ倉庫)
「アートメッセ2004」(大阪・ホテル・センチュリーハイアット)

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